自分の心を傷つけるあの人でも、
わたしが支えて助けたい、と
思っていました。
「好きだから助けたい」と。
しかし本当は、
自分が一番救われたいから、
自分が誰かに助けて欲しいから、
だったんでしょうねえ。
* * *
一昨日の記事の続きです。
「自分を傷つける相手と
一緒にいるのを
選んでいるのは自分」
という話をしました。
自分が嫌いで、
嫌いな自分を傷つけたいから、
わざわざ自分を傷つける相手の
近くにいることを選んでいる。
という話でしたね。
実は「自分を傷つける人」と
一緒にいる理由は
もうひとつ別のパターンがあって、
それが今日のお話です。
「自分を傷つけるあの人を
救うことで、
自分自身が救われたいから」
書籍「幸せになる勇気」でも
紹介されていた、
メサイヤ・コンプレックスですね。
メサイヤ・コンプレックス
自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする
劣等感を払拭できない人がしばしば陥る、優越コンプレックスの一形態
(岸見一郎,古賀史健.「幸せになる勇気」より一部抜粋)
これは「共依存」の関係でよく見られます。
たとえばアルコール依存症患者で、
暴力を振るい、お金を奪い、
治療の意思も見られない夫がいるとします。
自分に自信のない妻は、
「この人を支えられるのは自分しかいない」
「わたしが頑張れば、いつかきっと
夫も改心して治療に臨んでくれるはずだ」
と、身を削ってその夫に尽くします。
“価値のないわたし”が、ダメなあの人を
助けることで価値を得る、という
典型的なメサイア・コンプレックスの
一例ですね。
「純粋な愛情でやっているのだ」
という人もいらっしゃるでしょうし、
あなたがそう思うなら
それでいいのではないですか、
とわたしは思います。
例外もあるかもしれませんが、
こういう関係で妻が尽くした場合、
夫が改心して治療に臨む可能性は
低い傾向にあるようです。
(夫と妻が逆転しても同じ)
なぜかというと、夫は
「ダメな自分だから、
妻は尽くしてくれるのだ」
と無意識に思い込み、ますます
アルコール依存症の
治療をしようとしないからです。
夫は
「妻に支えてもらえる、病気のわたし」
「病気のわたしを救ってくれる妻」
に依存し、
妻は
「夫を助けてあげられる、救世主のわたし」
「無価値なわたしに価値をくれる夫」
に依存する。
これが“共依存の関係”です。
共依存の厄介なところは、
他者(カウンセラーや
心理学に詳しい友人)から見て
「どう考えてもそれは共依存ぞ!」
と思う状態でも、
本人たちはまったく気づけない場合が
ほとんど、というところです。
わたしもひと組ほど
信じてお伝えしてみましたが、
「自分ではそうは思えない、
受け入れがたい」
と言われてしまいました。
「あーやっぱりそうなんだー」
と思いました。
ですから、
「メサイヤ・コンプレックス」も
伝えられても受け入れられない人が
ほとんどだろうな、と思います。
* * *
これは医療従事者や
心理カウンセラーにも
よく起こる優越コンプレックスで、
主に
「自分がつらい経験を克服したから、
似た苦しみを抱えている人を救いたい」
という動機から起こるものです。
まあ、わたしも含まれますね(笑)。
確かに境界性パーソナリティ障害の
真っ只中のとき、
どうしようもない人たちを
元気にしたい、救いたいと
思っていた時は
メサイヤ・コンプレックスだったと
自分でも感じます。
今ですか?
今はですねえ、
こんなことを言うとお客さんが
減ってしまうかもしれませんが……
正直
「人を救ってあげたい」
という気持ちは
まったくありません。
ときどき相談者さんに
「わたしを救ってください!」
と言われることもありますが、
わたしは神とか仏じゃないので。
過去のブログでも書いているように、
わたしは骨折をした時の
松葉杖にすぎません。
リハビリをしたり休養をしたり
骨をくっつけるための栄養を
摂取するのは、
骨折した本人(相談者さん)の役目です。
何か不思議な魔法で
骨をくっつけたりは
できないんですよ。
* * *
メサイヤ・コンプレックスに
陥りやすい心理カウンセラーは、
自分の病気を治さずして
他人の病気を治したいと
思ってしまう人です。
わたしも人づてにしか
聞いた事がありませんが、
実際にいらっしゃるみたいですね。
これからも縁がないように
生きていきたいものです。
もちろん、相談者さんが元気に
笑顔で巣立っていくのは
わたしにとっても嬉しいことです。
しかし、それで救われている
感じはしません。
カウンセリング業で救われてたら、
「産みの苦しみ」とか
言わないでしょ。笑
産みの苦しみと共存するには、煩悩と向き合うしかないのだ
まあでも、
メサイヤ・コンプレックスの方も
結局「救われてはいない」
「苦しんでいる」状態が続くので、
一緒っちゃあ一緒か……。
どちらにしろ、
「本人は気づきにくい」
ものであるので、
わたしがそうだとかそうでないとか
評価するのも野暮ですね。
あとはみなさんがご自由に
評価してください。
誰がどう評価しようと、
わたしが
「人を救いたいとか
わたしが救えるとかは
さらさら思わない。
そもそもそんなことを
思うのもおこがましい」
と思いながら、
カウンセリング業を続けるのは
変わりませんから。
骨がくっつくまでの
役に立てばいいな、
とは思いますけどね。
松葉杖として。
ごきげんよう、さようなら。
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