自分にできることは相手もできるはず、という思いの罠—「ミステリと言う勿れ」

ミステリと言う勿れ

「ミステリと言う勿れ」
という漫画が好きです。

今7巻まで出ているのですが、
毎巻毎巻ハッとする言葉を
くれるんです。

たとえばこの言葉。
 ↓

「自分に苦手なものがあると
認知してる教師は
生徒にも
それがあると理解できる

自分にできることは
人もできる
自分はこうだったから
人もそうだろう

そう信じる教師は
多くを取りこぼす
ことになる」

(田村由美「ミステリと言う勿れ」7巻, 小学館, p.43.)

このセリフ、
「教師」を「親」に
「生徒」を「子供」に変えても
意味が通じるんですよね。

わたしは教師ではなく
心理カウンセラーですが、
このセリフを見て
ぞっとしてしまいました。

わたしは精神障害の
経験があり、
「自分にも苦手なものがある」
「自分にもできないことがある」
と認知しているつもりです。

が、
「苦手な自分でもできた」
「できない自分でもできた」
という経験が、
多くを取りこぼす
原因になってはしないか?
と思ったのです。

なんならそれは、
「できる人」
「できない人の気持ちが
まるでわからない人」
よりも厄介なのではないか、と。

もともと煙草を
吸っていた人が、
煙草をやめることに
成功した途端、
もともとの非喫煙者よりも
喫煙者に厳しくなる……

みたいな話、
聞いたことないでしょうか。

「できなかった自分が、
できた」
という成功体験は、
時に人を狂わし
目を濁らせるのでは
ないかと思うのです。

旧「できなかった人」
だとしても、
結局は

“自分にできることは
相手もできるはず”


“自分がこうだったんだから
きっと相手もこうだ”


の罠にハマって
しまいますよね。

わたしはこの漫画を
読まなかったら、
このセリフに
出会わなかったら、
その罠にとらわれて
いたかもしれません。

こんな感じで、
色々な気づきを
くれる漫画です。

Amazonでも1巻の
「試し読み」できるようです。
ぜひー。
 ↓

ミステリと言う勿れ(1) (フラワーコミックスα)|Amazon 

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