だってそれが今のあなたなので、仕方ないのでは?

自分の過去をしっかり振り返ったり、
人の悩みを沢山聞く仕事をしていると
「苦しむパターン」というのが
見えてきます。

自分に対する理想や期待値が
高すぎて、そうなれない自分を
責めるのが苦しみのパターンの
ひとつなのだなあ、と
最近気づいてきました。

自分に必要なものは勝手にやってくる

「この年齢でこれを
手に入れているのが正しい」とか
「今のこういう状態の自分はダメ」
とかよく聞くんですけど、
自分に必要なものは勝手に
向こうからやって来るんじゃないか

私は考えているんですよね。

つまり、それを手に入れるのが
本当にその人にとって正しいのであれば、
手に入る流れがトントン拍子に
やって来たりするのです。

そうならないってことは、実はそれ、
そんなに自分の人生に必要ないもの
なんじゃないか? と思うのですよ。

「こんな自分じゃダメなんです」も、
別にダメなんじゃなくて、
今の自分に必要というか、
「その状態でいること」が
あなたにとって「正しい」から、
そうなんじゃないんですか? と。

私はずっと、自分が
「精神障害を患っていた時期」を
すごい無駄だったと
思っていたんですけど、
今冷静になって振り返ってみると
「その状態でいることが、
その時の自分にとって『正しかった』」
ような気もしてきました。

ここで言う「正しさ」とは、
世間一般的に言う
「正しさ」ではなくて、
自分(の人生)にとって正しい、
ということです。
正しいというか、
「別に間違いじゃない」というか。
それが必要だったというか。

「何も決められない」が必要な時もある

「これもあれもそれも必要だと思うけど
全部やる気が起きない」とか、
「A君とB君が好きだけど
どっちを選んでいいかわからない」とか、
まあとにかく色んな選択肢を抱えて
「決められない」ときが
誰にでもあるんです。

そんで真面目な人は
「決められない自分はダメ」
「一本に絞れる自分にならなきゃ」
と言うんですけど、
(私も昔そう言っていた)

最近の私は「何も決められない」が
今の自分にとって必要だったり
丁度いいんじゃない? と
考えるようになりました。

ていうか、「決められない私」を
ずっと責めているから、
延々と「決めるエネルギー」が
溜まらないのでは……? とも思います。

いいんじゃないすか?
だって今決めたくないんだもの。

「私は何がしたいのかわからない」
んじゃなくて、
「『ハッキリ決めない』をしたい」
んですよ。

一度手放したチャンスは二度と来ないけど別のチャンスはやってくる

以前どこかでマツコ・デラックスさんが
「差し伸べられた手は掴まなきゃ、
逃したら二度と来ない」
と言っていて、本当にそうだよなあ
と思ったんですよね。

ただ私、実を言うと
「差し伸べられた手を掴まなかった」
ことがないんですよね。
差し伸べられた手は
全部掴んでる気がします。

じゃあ何で「本当にそうだよなあ」
と思ったかと言うと、
自分が「手を差し伸べる側」になって、
相手が手を掴まなかったり、
あるいは跳ね除けた時に

「二度とお前に同じ手は差し伸べねえ」

と思っているからなんですよね。

ただ、捨てる神あれば拾う神ありというか、
蓼(タデ)食う虫も好き好きというか、
私が二度と手を差し伸べなくても、
多分その人には別の誰かが
手を差し伸べてくれるんですよね。

だからまあ、「手を取らない」とか
「選ばない」もそれはそれで
その時のその人にとっては
正解なんじゃないか、と思うんです。

「あの時ちゃんと手を取っていればよかった」
と思うかもしれないけど、
その後悔から何かしらを得て、
次のいい手を取ってるかもしれないでしょ。
ていうか、人生ってそういうことの
連続じゃないですか。

だからやっぱり、
その時やった選択は
その時の自分にとって必要で、
全部正解なんですよ。

選択しなかった責任は背負わなければならない

「選ばなかった自分」は全部正しいけど、
差し伸べられる手を全部跳ね除けていたら
最終的に独りぼっちにはなるので、
その時そのことに後悔した場合、
「選ばなかった責任」は
自分で取らないといけない気がしています。

(後悔しなかった人はその責任を
取る必要はありません。
孤独に満足しているので)

なんかよく
「誰も助けてくれなかった」とか
「そのせいで自分はこんな目に遭った」
とか言う人がいるけど、
私は「本当に誰も見向きもしない」ことって
ないんじゃないかなあ、と思うんですよ。

こんなことを言っていると
「頭がお花畑」とか
「お前は本当の絶望を知らない」とか
言われるかもしれないけど、
でも本当にね、
「見えていない人」って沢山いまして。

え、そこに小さいけど
救済措置あるじゃん、と
他人の私は分かるんですけど、
本人はもうそれが全然見えてなくて、
っていうか
「見えないようにしている」
ことに気づいていなくて、
「どこにも救いがない!」
って大声を上げているんです。

その救済措置は「誰か」じゃなくて
「何か」だったり「現象」だったり
することもあるんですけど。

つまんないプライドで
「それを選ばない」ことを
自ら選択しているのに、
全部他人のせいにしている人を見ると
「大変そうだなあ」と思います。

まあ、私に八つ当たりとかしないんなら、
別にどうでもいいんですけど。
その人の人生ですからね。

どうにかなりたいなら「これが今の私」を受け入れる

結局なんで「わずかな救済措置」を
見ないようにしていたり
選ばなかったりするのかというと、
「今の私」を認められていないから、
のような気がするんです。

情けない私とか、
本当は強くない私とか、
本当はこんなに持っていない私とか、
言うほどすごくない私とか、
嫉妬しちゃう私とか、
この程度のレベルの私とか、
まあ、もろもろ、そういうものを。

「私はダメ」という自己否定の上に、
「もっと素敵になれるはずの私」や
「素敵な私になるための努力」を
積み重ねているので、
最終的に崩れるんですよね。

私はよく
「どうして難しい精神障害を
寛解できたんですか?」
って聞かれるんですけど、
理想の自分とか、
自分への期待を捨てたからじゃ
ないかなあ、と思います。

「だってこれが今の私だから、
仕方ないよなあ」を
受け入れられたのが、
寛解に至るひとつのポイント
だったのかなー、と。

「今のダメダメな私」を受け入れると、
「じゃあその能力の低い私で、
今できることは何か?」
を考えられるんですよ。

ダメダメな自分を受け入れるのって、
すごい悔しいし歯がゆいし
不安になります。
でも、そんなことを考える
自分ですら丸ごと受け入れるんですね。

そうすると徐々に、自分に
背伸びをさせなくなってきます。

そして、
変えられない過去のことや
起こってもいない未来のことを
考えるのをやめて、
「今、この私にできること」
しか考えなくなるんです。

自分にそこまでエネルギーがないのに、
無理やり無いエネルギーを
120%噴出して
「理想の私」「期待の私」に
なろうとするから潰れるわけで。

つまり「今の私」を
受け入れる
ってことは、
空想とか過去とか未来とかに
逃避するんじゃなくて、
「今この瞬間に集中する」
ってことですね。

さてそれでは、本日はこの辺で。
ごきげんよう、さようなら。

わたくしの運営するカウンセリングサービスはこちら

カウンセリング詳細&お申込みはこちら

「今の考え方」を変えるヒントも盛り沢山!の著書です

【疲れたら休めばいい、ということが何故こんなにもヘタクソなのだろう。】

著、イラスト:ともえ
監修:根本裕幸
出版社:学研プラス
発売日:2021/8/26
単行本:176ページ

※初版発行部数は5000冊です。
今なら大型書店には
在庫があるようですが、
ない場合は
書店の店頭でお取り寄せいただくか、
上記画像&リンクからご注文ください!


* * * * *

活動紹介用マガジン、無料配送中

周囲の方に布教してくださる
個人さんやお店さんや
企業さんを募集中です!
配るorどこかに置いていただければ
ありがたいです!!

請求はこちらから
(バックナンバーもPDFで読めます)
 ↓
2021年版無料セルフマガジン「ぱりこれ。」請求ページ

* * * * *

無料メールマガジンやってます

心を軽くする心理学の話を
わかりやすく解説しています。

◆月〜土・大体20時配信◆
 ↓


あなたの心を心理学でスッと軽くする「ぱりことば。」

* * * * *

無料悩み相談はこちらへ!

匿名ブログネタ投稿フォーム

※ブログ上で回答します。
 全ての投稿を採用する訳ではありません。

※フォーム以外からのリクエストは
 取り上げませんので、ご了承ください。

LINE・SNSのお問合せ先

友だち追加

上のボタンを押すか、
LINEアプリを開き
「@palicosp」でID検索

◎Twitter @palicosp

◎Facebook @palicosp

◎Instagram @palicosp