京都滞在中にめっちゃ考えたり
学んだりしたので、少しずつ
アウトプットしようと思います。
今日は
「何でも分かった気になっていると
人は身を滅ぼす」という話について。
京都滞在中にめっちゃ考えたり
学んだりしたので、少しずつ
アウトプットしようと思います。
今日は
「何でも分かった気になっていると
人は身を滅ぼす」という話について。
自分がめちゃくちゃ頑張らなくても、
相手を喜ばせたり、
相手の夢を叶えたりできます。
「自分が頑張らなきゃ
相手を幸せにできない」
などと考えるのは、
お門違いなんですな。
自分の心を傷つけるあの人でも、
わたしが支えて助けたい、と
思っていました。
「好きだから助けたい」と。
しかし本当は、
自分が一番救われたいから、
誰かに助けて欲しいから、
だったんでしょうねえ。
「どうしてわたしが好きになる人は
段々わたしへの扱いが
ぞんざいになって行くんだ」
「あの人と一緒の家は嫌だけど、
出て行くお金がないから仕方ない」
そう思っていた時期が
わたしにもありました。
先日、友人とうっかり朝まで
座談会をしたのですが。
その中で気になる発言がありました。
「自分は自己犠牲が好きなので、
相手のために動くだけで満足で、
そこで完結してるんです。
相手がどんな反応をするかは
関係ありません」
自分が得た知識を、困った人のために役立てたい。
その思い自体はすばらしいです。
が、知識を教えるのはいいけど、
「思想」を押し付けるのは
不幸しか産まないんですよね。
境界性パーソナリティ障害の症状に
「異常なまでに他人を信じられない」
があるなーと思っているのですが、
別に他人を信じられないのって
境界例の人に限らないよな……
と思ったので、今日はこんなタイトルです。
人を信じられない病の人ほど、
他人にだまされやすいし、
いい人を手放すんですよね。
相手が認めてくれないのは、
相手が変わってくれないのは、
すべて自分の努力が足りないせいだと
思い込んでいる人が多いのですが、
自分を責める必要はありません。
相手は、自分の勝手で
あなたを評価したり、
言動や行動や考えを
決めているからです。
うまくいかない人がうまくいかない理由は、
“自分ひとりで何とかできる限界”を
見極めるのが遅いからです。
つまり
「取り返しがつかなくなってからしか
人を頼れないせい」です。
まあ、わたしもそうだったんですけどね。
いろんな知識を仕入れるたびに、
「動けない」「変われない」
の根源はいつも
「怖い」なんだなあと思います。