映画「JOKER」(2019)感想

JOKER感想

豊かな者が没落したり
貧しい者がある程度生活を
向上させることはあっても、
どうしてもわかりあえない
“貧富の差”があること。

そして“親の罪”が培養され
子によって増殖されることに
ついて考えさせられました。

今日は映画「JOKER」の話です。

* * *

JOKERについて知らない方のために
ざっくりと説明すると、
「アメコミ『バットマン』において
最大の宿敵とされる『ジョーカー』が
生まれた経緯を描く」
作品です。

とはいえ、本作は終始
のちのジョーカーとなる
「アーサー」の主観で進み、
これまでのバットマン作品と
繋がらない部分もあったりして、

トッド・フィリップス監督
独自の視点で描かれる
スピンオフ作品といっても
いいのではないか、
と思います。

何で今までのバットマン作品と
繋がってないのにOKとなる
のかというと、
「ジョーカー」そのものが

・狂気で記憶混濁している設定で、
過去があいまい

・人の心をかき乱すキャラで、
言うことがコロコロ変わる


からかなと思います。

ちなみにわたしは
バットマンシリーズを
今までまったく
観たことがないのですが、
(これを観た翌日にやっと
「ダークナイト」を観たくらい)

そういう人間でも楽しめる
作品だと思います。
(内容は別に「楽しく」はないけど、
色々と考えさせられる)

むしろ初期からずっと
バットマン(ジョーカー)の
ファンである人のほうが、
納得いかない部分もある
作品ではないかな、と
個人的には感じました。

(わたしはこれを
最初に見たので
非常に好きです)

※この先はネタバレを書くので、
「ネタバレ見ずに映画を観たい!」
という方はここで
画面を閉じてください。

うっかりネタバレ見る防止策として予告動画置いときます

* * *

アーサーをジョーカーへ
変貌させたのは
「社会すべて」
なのかもしれませんが、
個人的には諸悪の根源は
母親じゃないのか、
という気がしました。

母親がアーサーへ
したことをまとめると、

・身分違いの恋に落ち、
その相手を手に入れるために
養子まで作って嘘をついた

・自分の勝手で
養子を迎えたのに、
その養子を虐待するような
男と付き合い、虐待を傍観
(その虐待で子供は脳に障害を残す)

・しんどい原因を作った
自分を棚に上げて、
息子に「いつも笑顔で」
などと強要する


ってことですよね?

(母親本人は3番目を忘れて
「あの子が泣かない」
と言っている?
またはアーサーの
記憶違い? と
不明な点もありますが)

親の罪が培養されて
できた存在が
「ジョーカー」
なんじゃないかな、
と感じました。

しかしこうして
文章にまとめてみると、

「そもそも恋人の連れ子を
虐待するその男がクソ」

「アーサーは“棄子”と
書かれているので、
そもそも子供を捨てた
実の親がクソ」

のような気もしてきます。

ペニー(母親)が養子にしなくても、
結局アーサーはその境遇により
狂気へ堕ちていっていたかも
しれないですね……。

また、全ての原因は
「貧しさ」とも言えます。

ペニーが嘘をついてまで
富豪の息子と結ばれたかったのは
「貧しさ」からかもしれない。

恋人の連れ子を虐待して
ストレス解消していたのは、
「貧しさ」からかもしれない。

実の親がアーサーを
捨てたのも、
「貧しさ」からかもしれない。

しかし貧しかったら全員が
虚言したり
子供を殴ったり
自分の子供を捨てるかといったら
そうではない気がする。

ただ、そもそもそういう考えに
至ってしまうのは、
わたしが「本当の貧しさ」を
体験したことがないからかもしれない。

それこそが、わかりあえない
“貧富の差”なのだろうか……
と、めちゃくちゃ色々考えました。

* * *

当作品では、
「富んでいる側」の
悪の象徴として

●市長選に立候補する富豪、
トーマス・ウェイン

●有名コメディアン、
マレー・フランクリン


が描かれますが、
個人的に嫌いなのは
マレーの方です。

トーマスは自分の会社の人間を
3人射殺した犯人を
「仮面(ピエロの顔)を
かぶらないと
何もできない奴」
とバカにはしますが、
その気持ちもわかる気がします。

だってわたしも、
自分のメールフォームに
「匿名で暴言を吐いてくる人」
を見たら、
「匿名でないと物も言えない奴」
って思いますもん。正直。

ただ、SNSで
「顔と実名を出している方がえらい」
という態度をとっている人を見たら、
それも違うだろうという気もします。

要するにわたしが言いたいのは、
顔や名前を出していなくても
筋の通ったことを言える人もいれば
ロクでもない奴もいるし、
顔や名前を出していても
筋の通ったことを言える人もいれば
ロクでもない奴もいる、ということです。

“顔や実名を出す・出さない”で
その人が立派な人物かどうか
判断はできないんですよね。

この映画で描写される
トーマスの悪かった所は、
「世間知らずだった」
という一点だと感じました。

持つ者側の視点や世界しか知らず、
持たざる者側のことを知らない。
知ろうともしていないし、
そもそも知らないことにも
気づいていないかも知れません。

でもそれって殺されるほどの
罪なのかな、とも思います。
“ゴッサム・シティだから殺された”
というのもあると思いますが。

※ちなみにバットマン作品での
トーマス・ウェインは、
お金持ちでありながら外科医として
多くの人々を無償で治療する
設定があるので、
やはりこの映画は
「バットマンと別物」もしくは
ジョーカー(アーサー)の主観(記憶)
なので悪く描かれている、
という可能性もありそうです。

* * *

マレー・フランクリンは
明確な意図を持って
アーサーを“笑い者”に
しようとしている
ので、
個人的には一番嫌いなタイプの
成功者というか金持ちです。

なので報いを受けるのは
当然のような気もしますが、
やはり冷静に考えると
「殺す以外に報いを与える
方法はなかったのか?」
と思ってしまいます。

もちろん作品としては
あそこで「ジョーカー」が
銃をぶっ放す方が
最高にクールな演出だと
思いますよ。

これはもう個人的な
趣味の話というか、
おそらくわたしは
「殺して報わせる」
というのが好きじゃない
のだと思います。

というよりも、
「暴力で従わせる」
「暴力でスッキリする」のが
好きじゃないというか。

頭が良くてお金を
持っている人が、
どれだけ偉そうに
「暴力で解決するのは
短絡的だ」
と言ったとしても、

そう言った人間の頭を
銃でぶち抜けば終わりです。

だから
「個人の崇高な思想」なんて
暴力には勝てねえな、と
いつも思います。

わたしもこのブログやSNSで
色々とえらそうなことを
書いてはいますが、
道端で暴漢にあって
わたしが殺されれば
それまでなんですよ。
「死人に口なし」ってね。

ただ、暴力で気に入らない奴を
黙らせた人は、いずれ必ず
「同じ方法で黙らさせられる」
とも考えています。

どんな暴君も年取って老いれば
新たな若い暴君に殺されます。
というか、人間は100%死ぬので、
「永遠に最強の存在」では
いられないのです。

そういう点でいうと、思想は
死んでも残るんですよね。

誰かがわたしの言うことに
腹を立て、道端で殺したとしても、
わたしの言葉や思想に共感した人は、
それをまた誰かへ語り継ぎます。

仏教の教えが語り継がれたり、
孔子の言葉が今も残っていたり、
遥か昔に死んだアドラーの言葉に
わたしが感銘を受けたように。

わたしはジョーカーも好きだし、
この映画も好きだと思います。
けれど、彼のように
「殺して解決しよう」
とは思わない。
かといって、
トーマス・ウェインのように
自分が市長になって
腐敗した社会を
変えてやろうとも思わない。

わたしにできるのは、せいぜい、
ペニー・フレックのような
女にはならないようにしよう、
と思うことだけです。

* * *

もうひとつ、
これは職業病だと思いますが、
作中で出てくるカウンセラーと
自分を重ねてしまいました。

もし自分がアーサーの
カウンセリングを担当したら、
彼をジョーカーにせずに済んだか?

わたしは毎回毎回
「仕事は順調?」
「落ち込んでない?」
という質問だけで
済ませないとは思いますが、
やはりアーサーを救うことは
できなかったんじゃないか
と思います。

というよりもわたしは、
カウンセラーが
全ての人間を救えるとは
思わないし、思えないのです。

アーサーは
「あんたは俺の話を
聞いていない」
と怒っていましたが、
はたしてアーサーは
「相手の話を聞こうと
していたのか」
とも思います。

「俺の話だけ聞いて聞いて聞いて」
ってする人の手助けなんて
できませんよ、そりゃ。
それで黙ってずっと
話を聞いていたら
「もっともっともっと聞いて」
ってなるだけだし、
なんなら最終的に
「話をただ聞いているだけで、
具体的な解決策を
何にも出してくれない!!」
と怒り出します。

話をただずっと聞いていたって、
問題の解決にはならない、
というのがわたしの考えです。

しかし、彼がカウンセラーに
腹を立てるのもわかります。
わたしもかつて、
「アーサー側」の
人間だったから。

みんなが自分をバカにする、
みんなが自分を
取るに足らない存在だと思う、
そういう世界にわたしもいました。

でも、「わたしもそこにいた」
ことは彼の助けにも何にも
ならないことを知っています。

この映画を見て
ひどく感じたのは、
「自分はどちらかに
傾倒することができない」
ということです。

両方の言い分がわかるが、
どちらの味方にもなれない。

先日「真・女神転生Ⅱ」という
レトロゲームをやっていて、
その中でも言われました。
「LAWでもCHAOSでもない者は、
一番困難な道を歩むことになる」と。

そう、どちらかに傾倒した方が
ある程度は楽になれるのです。

「アーサー」が楽になり、
エンディングで
本当の「笑い」を出せたのは、
彼がCHAOSに傾倒したからです。

あるいは、
母親の呪縛を解き、
本来の自分を解放できたから。

「親(や周囲の人間)の
呪縛を解けば、
人は幸せになれる」

というのは、
わたしも賛成の意見です。

しかし「殺す以外の
選択肢はないのか」
と考えてしまいます。

とはいえ、わたしが
「殺すな」と言うのは、
別に道徳的な理由では
ないかもしれません。

わたしはアーサーが
母親の呪縛から逃れられて
よかったなと思っているけど、
ペニー・フレックは殺されずに
苦しい生を続けて欲しかった、
と思います。

殺されることや死ぬことよりも、
苦しいまま生き続ける方が
罰として丁度いいという
価値観だからです。

映画としてはジョーカーが
「母親殺し」の罪を負うのは
非常にジョーカーらしくて
良かったんじゃないか
と感じています。

しかし個人的には、
気に入らない人間には
「生きて生きて生きて
自分の身勝手さのせいで
苦しんで苦しんで
そして独りで死ね」
と思っています。
だからわたしは
気に入らない人間を
絶対に殺しません。

「殺してはいけないから」
殺さないのではなく、
「殺さない方が
苦しんでくれそうだから」
殺さないのです。

この映画のジョーカーが
他人を殺すのは、
ほとんど私怨のためですが、

映画終盤のジョーカーや
のちのジョーカーが
他人を殺すのは、
自分が楽しいからだけでなく

「人々へ贈るショー」

なのかもしれません。

鬱憤だらけの退屈な人生に
ひとときの花を添えるショー。
だって彼はピエロですもんね。

そういえば終盤に
人々がピエロのお面や
メイクをして暴動を起こしたのも、
「ピエロ」が非常に
アイコンとして良かった
からだよな、と思いました。

道化が殺人を犯す、
というのは逆に狂気や
恐怖をかきたてるし、
(映画「IT」もピエロですもんね)
派手で異質なものって目立つし
めちゃくちゃわかりやすい
モチーフになりますよね。

実は元々のジョーカーって
別にピエロメイクじゃ
ないのですが……。
緑の髪で白塗りで
口に赤いメイク塗っている
(または本当に口が裂けている?)
だけで……

一緒に観た弊パートナーが
色々な考察を見ていましたが、

「あれはそもそもバットマンの
ジョーカーとは別人で、
本物のジョーカーに影響を与えた
ただの犯罪者の一人って
説もあるんだって」

というのを聞いて、
なるほど! 
そういうのもあるのか
(※孤独のグルメ)
と思いました。

あとこの映画の物語そのものが
「ジョーカー(アーサー)の
妄想」という説も面白い。

また、
「ペニーは嘘をついていない説」
もあるんだなと思いました。
(トーマスがでっちあげた、
というほうが真実)
よく考えたらターミネーター2も
お母さんは正常なのに
精神病院に入れられたり
してましたしね。なるほど。

観るものすべての心を
ひとつにしないのもまた、
「ジョーカー」という
キャラクターのなせる
技ではないでしょうか。

* * *

わりと色んな映画を観ているのに、
映画の感想を書こうと思うと
平気で2〜3時間経ってしまうので
なかなか書けないでいましたが、
今日は久々に本気を出しました。

あまりにも映画カテゴリの
投稿が少なすぎるので、
増やそう! と思って
今回は書きましたが、
やはりめちゃくちゃ
時間がかかります。

なので今後もたまに細々と
やっていこうと思います。

ごきげんよう、さようなら。

* * *

ジョーカー字幕版|Amazon Prime Video
ジョーカー吹替版|Amazon Prime Video

吹替版のアーサーは
平田広明さんが
演ってらっしゃるんですね。
わたしは字幕版で観たけど、
平田さんのアーサーも観たい。